hanatabiのブログ

旅の思い出を記録する。

ペルーの旅 2015年夏 18日目 念願のマチュピチュ見学 

 2015年9月5日 土曜日/クスコ➡️マチュピチュ(Machupicchu)
4:30 目が覚めた。
夢を見ていた。
マチュピチュ行きの電車に遅れた。
目が覚めて夢だと分かっていても電車に遅れるのではと、不安だ。
なぜならマチュピチュ行きの電車はポロイという駅、クスコから11キロあるからタクシーを予約した方が良いとスペイン語学校の先生も言う。昨日ホストの女性にタクシーを予約するようにお願いしたが、夜寝るまで女性は姿を見せず、仕方なく寝る前におばあちゃんに伝言を頼んだ。
前に世界一周を旅した人の本を読んだことがあるが、作者がまさにポロイ駅までタクシーが渋滞に巻き込まれ、電車に遅れた体験を頭によぎった。
5:00 起床
アラームを5時半にセットしたが、どうせ眠れないから起きて支度する。
6:15 降りて 台所を覗いてみるが、人影が無い。
7時にタクシーをお願いしているはずだが、誰も起きてこない。
6:30 おばあちゃんがお湯を沸かし、私を見ると、手を口につけて早く朝ごはんを食べてと合図する。
嬉しくなった。おばあちゃんがちゃんと憶えてくれている。
お湯にコーヒを入れ、冷たいパンを籠から取り出す。食欲が無いが食べなきゃ。
ゆで卵をおばあちゃんにお願いすると、良々と、すぐ取り掛かってくれる。
もう6時50分、リュックを背中に出かけようとするが、タクシーはどうなっているかさっぱりわからない。つまり約束通り、7時通りで待てば良いと、解釈し出かけようとするところ、二階から娘さんが急足で降りてくる。
電話台のところで電話を掛ける。
私のタクシーだ。
これから予約するのか。
心が泣く。
7時10分に来るという。
遅いよ、7時ってお願いしたじゃ。電車は7時42分でこれでは間に合わないよ。
よし、通りでタクシーを拾おうととりあえず二人で外に出る。
7時13分になっても予約のタクシーも来ないし、焦る私を見て娘さんが意を決して通りかかった車に手をあける。
車の上にタクシーの表記のない白タクだ。
仕方なく乗るしかない。
運転手が乗ってきた私に笑顔で挨拶する。
幾分ほっと。
11キロは長く感じる。iPadの時計を見ると7時20分、どのくらい走ったかもわからない。ただ道が空いていて順調に先を進む。
もう30分だ。
後どのくらい。
運転手は笑顔でほらと、目で合図し、車はポロイ駅らしき庭に滑りこむ。
救われた!
7:30だ。
確かに15分くらいで着くだね。
S/20を渡し、お礼を言う。
運転手も何かをいう。笑顔からみると、きっと良い旅であるようにと、祝福されている。


7:42 PERURAILが定刻通りに動き出す。
席替え
39番窓際席、隣はコロンビアから来た若い女性Nathaly Pacheco。
大きな目に笑みが浮かぶ。ガッチリした肩、厚い胸、石のように頑丈そう。
だが我らの二人席は進行方向と反対で、これでは景色が楽しめない。
空いている後ろの席14番に移した。窓際席ではないけど、四人席を二人占めで広々と気持ちが良い。
よし、これで気持ちよく列車の旅を愉しめる。


アルメニアから来たMariam
新しいお隣さんはアルメニアから来た若い女性Mariam。メガネをかけて物静かで知的な感じ。痩せているが黒い目が光っている。
アルメニアでは英語の先生をしているけど、今はアメリカで研究中。妊娠中ということも告げられる。
「おめでとう」と言うと、嬉しそうな顔。
友達と一緒にペルに来ているけど、今日は別行動。旅行会社のツアーに入っていて、今日はマチュピチュ村に泊まる。


Nathalyとマチュピチュ見学
10:52 ほぼ定刻通りマチュピチュ村に到着。
Mariamは旅行会社の迎えがあるから、私はNathalyと自然に合流し、マチュピチュの入場券を購入し(私は昨日クスコで購入済み)、そしてバスチケット(往復でS/77、35ドル)を購入し、バスに乗り込む。


30分くらいでバスがマチュピチュ入り口に到着。
大勢人が賑わいを見せている。雨が降っているから傘やレインコートを使う人もいるけど、ほとんどの人は何もせずアンデス山脈の恵み雨を楽しんでいる。実際には濡れるほどの雨でも無く、すぐに止んだ。
まずはパスポートにマチュピチュのスタンプを押してもらう。


マチュピチュのスタンプ


いよいよあの景色とご対面
時間はちょうど昼12:00前、沢山の人が細い道を歩いて中へ入り込む。
すぐマチュピチュの姿が現れてきた。思ったより広い、そして険しい。
順路に沿ってまずは高い方へ登る。石階段で結構きつい。
暫くして暑くなり、足も重い。Nathalyさんはいとも簡単に先を進む。先に行ってもらうことにした。
一人になってまずはゆっくり休み、セーターやレグオウームなどを脱ぐ。
それから頂上まで登り、今度は別の道で向かい側の敷地に向かう。
ガイドブックを見る余裕が無く、どこがどうなのかはさっぱりだ。ただところどころに警備員が立っているから、そこはきっと重要なポイントと悟り、写真を撮る。正直、写真を撮る気も起きなくて、ただこの場所にいることをかみしめたい。
天気は曇り、アップダウンを繰り返しているうち、汗が出る。


マチュピチュを後にする
午後三時前、マチュピチュを後にした。三時間の見学、より長く感じていた。これ以上は体力の限界。
出口でNathalyとぱったり再会、抱き合って再会を喜ぶ。
バスでマチュピチュ村に行き、Nathalyと遅いランチ。
Nathalyはスペイン語が話せるので、現地の人が多い屋台でランチセットにした。
スープ、チッキンフライ、フライポテト、生野菜付き。S/7、約2.3ドル。
安堵の気持ちと充実感で食事も最高に美味しい。二人は出されたものを一瞬にして平らげた。



Nathalyの温かみのある笑顔


食事後、隣の屋台でフレッシュジュースも飲む。
私はパパイヤ、Nathalyはパイナップル。S/5。すごい量。二人は言葉を交わさずただただ微笑み合っている。
後でNathalyが言うには、あなたは屋台でごはんを食べるなんて意外だった。


Nathalyは夕方5時前の電車。駅まで見送り。抱きしめてバイバイをした。


マチュピチュでの一日が過ぎていく。
最後の最後まで行けるのか自信がなかった。実際に行くと観るものが多く感慨に浸る余裕などなかった。それでも擦れ違う人々と「オーラ」で挨拶、自然と笑みがこぼれる。
商業化されて観光客が溢れているのではと心配していたが、入場制限もあり、実際にマチュピチュにたどり着くまで余りにも遠い道、それに金銭的な面でのハートルが高く、入場制限ほど混むことが無さそう。
一番感じたのは、現代社会がいろんで思惑でマチュピチュを商業化しようとしても、マチュピチュは凛としてアンデス山脈と共に生き続けることだろう、


マチュピチュを空中都市と呼ばれる訳
標高2,400mに作られたマチュピチュは1911年、ハイラム・ビンガムにより発見された。
16世紀前半、インカ帝国はスペインに征服され、インカの都市はことごとく破壊されたが、山奥にあるマチュピチュはスペイン軍に見つかることなく、ほぼ無傷のまま残された。


マチュピチュはクスコから114kmの奥深いジャングルの中にある。周りは断崖と尖った山々に囲まれている。遥か下を流れるウルバンバ川流域は密林に覆われているジャングル。麓からはその姿を確認することができない。空中からしか存在を確認できないことから、“空中都市”と呼ばれるゆえんだ。
訪ねてからこの説明を読むとなるほどと頷ける。
さて今晩はマチュピチュ村に泊まろう。