hanatabiのブログ

旅の思い出を記録する。

ペルーの旅 2015年夏 23日目〜24日目 リマ滞在 美術館、ペルーのお刺身 


2015年9月11日 火曜日/クスコ➡️リマ
ホテル Hostal El Patio
リマ空港には1時前に到着、タクシーグリーンでHostal El Patioに直行。
三週間前に日本からリマに着いた時泊まりたかったホテルだ。予約一杯でダメだった。
料金はS/126、40ドルほど、ケネディ公園の近くで大変便利なところ。
一泊料金を払い、予約を入れた。
その時正直これから先どうなるのか全くわからないから、まさか予定通りにリマに戻り、このホテルに泊まれるとはちょっと感慨深い。


最初に案内された部屋は二階で通りに面している。
できればダブルベッドで通り側ではない方がいいとリクエストして、中庭に面する一階の部屋4号室となった。一階は避けたいけど、これ以上言えない。
しかもリマはクスコより生暖かいから寒くないだろう。
室温は21℃、湿度7%。クスコでは室温は昼間20℃、夜は15℃、湿度はいつも40%くらいだった。大分違う。


シャワーを浴びる
夕方、食事から戻ってシャワーを浴びる。
お湯が出るが、時々水に変わる。困ったことだ。それでも髪の毛も体も洗い、さっぱりした。


今日はパジャマで寝るつもり。三週間ぶりか、いつも服を着たままで寝ていたからなあ。
良く寝たもんだ。人間の順応性がすごいものだ。


美味しいレストラン
フロントの人に教えてもらい、近くのレストランで遅いランチを食べた。
スープにスパゲッティ。どちらもプロの味、それにレストランの室内が暖かく清潔で実に気分が良い。しかも安い、S/14、チップ含めても6、5ドルほど。
ウエーダーのおじさんも丁寧で出来立ての熱々料理を持ってきてくれた。
ゆっくり味わい、三週間あまりの高地の旅を経て、安堵な気持ち。


2015年9月12日 リマ 晴れ
羽毛布団
二枚羽毛布団に暖かく包まれ、一晩ゆっくり寝た。マッドも暖かく、文句無し。
蛇口からたっぷりのお湯、感動。


酸素が濃い?
リマの標高154m、3,399mのクスコから来て酸素が濃い感じるか、どんな感じなのか楽しみにしていたけど、ほとんど変わらない。強いて言えば動く時心臓がパクパクしなくなる。不思議にクスコにいた時、一度も空気が薄く苦しく感じたことが無かった。これは高山病予防薬をアレキバに行く前日から飲み始めたからか。


ラフアエル・ラルコ・エレーラ博物館
Museo Rafael Larco Herrera
見応えのある個人博物館
ホテルからタクシーで20分ほど、S/20 約7ドル、入場料S/30
ラフアエル・ラルコ個人の博物館。
まず博物館の建物が素晴らしい。元は18世紀にスペイン人貴族の邸宅。広々とした各部屋に数多く土器、織物、絵画を効果的かつセンス良く展示され、洗練された空間を作り上げている。



国立考古学人類学歴史学博物館
ラフアエル・ラルコ・エレーラ博物館から徒歩20分の距離だが、ガードマンに勧められ、タクシーで行った。S/6、2ドル。


規模・収蔵量ともペルー最大という地球歩きの謳い文句に惹かれ、ラフアエル・ラルコ・エレーラ博物館の後に行ってきた。
一言で言えば期待外れ。まず、この名前から分かるように考古学、人類学、歴史学を網羅する野心的な博物館。だが、テーマが大き過ぎて、どれも印象が薄い。第一、展示品の陳列、展示室のデザイン、照明、工夫が見当たらず、小学生のための学習模擬室のようだ。実際には来場者はほとんど学生と先生。
ラフアエル・ラルコ・エレーラ博物館を見た後こともあり、がっかり。写真を撮る気さえ起きなかった。


命拾い?
博物館を後にしてタクシーでホテルへ。博物館の外で待機しているタクシーに乗ったが、最初はS/25、値引きしてS/20に。
車は清潔で新しい。だが運転手の面相が怖い。黒めの肌にがっちりした体格、凶暴を思い起こす風貌。
道が混み、ぐるぐると割り込みながら先を進む。来た時の道とは所々違ったりする。何しろこちらも道を良く覚えていない。
ハラハラ、いろんな結末を頭に過る。まあこうなったらまな板上の肴だ。
遂に見覚えのある建物が見え、ほっとしたところ、ホテルの前に到着。
冷や汗。
ペルーのタクシーは予約したもの以外は大抵こんな感じ。
命賭けの気概で乗り込む。



ペルーのお刺身 Cebicheperuano
これはマチュピチュ行きの電車で出逢ったコロンビア女性Nathalyが強く薦めたペルー料理。彼女はわざわざスペルまで書いてくれた。
今日近くのレストランで狙ったランチメニューがないから、思い切ってこれを頼んでみた。
白身の生魚に玉ねぎ、香菜、レモンをかけ、ジャガイモ、モロコシを添えたシンプルのものだ。生ものを避けてきたが、思い切って食べてみた。美味しい!刺身と違う美味しさ。結構高い、S/32、11ドル。


ペルーのお刺身

ペルーの旅 2015年夏 20日目〜22日目 クスコ滞在 指が腫れる、暖かいホストフアミリ、断水でも慌てない


2015年9月7日月曜日/クスコ
7:00 起床。


指が腫れる
指が腫れている。マチュピチュで虫に刺されたみたい。いつ何処では全く気がつかなかった。
右手の人差し指。傷口が小さい赤い点、マチュピチュを見学後赤い点の周りが腫れているのが初めて気が付いた。その後赤い点が広がり、人差し指が曲がることさえできないほど、昨日腫れがさらに手の甲までに拡がり、皮膚が赤くツルツルになっている。だが、傷が僅か火照りと痒みがあるだけだ。
まさか変な毒虫じゃないのね。地球歩きで見たら日系の病院はリマしかないようで、様子を見るしかない。
昨夜夕食時ホストのAstrid さんに見せたら、明日にでも良くなるよ。この一言で幾分ほっとした。


クスコやマチュピチュでは全くと言って良いほど虫とか見ない。たまにはレストランで蝿くらいがいる程度だ。それでも日焼け除けにいつも軍手を使っていた。勿論マチュピチュの時も。
まあアンデス山脈で未知の世界からの挨拶か。


新しいゲスト?
今朝同じ二階に新しいゲストが入って来た。中年男性で、ホスト家族と知り合いのようだ。おばあちゃんと長く話をしていたし、ホストのAstridさんが住む二階にも上がり、話しをする。後でわかったのだが、実はこのうちのおばあちゃんの息子さんでAstridさんのお兄さんだという。


ホスト一家
ホストのAstridさんは25才の娘と12才の息子と南向きの二階に住んでいる。
そのほか、30代くらいの女性も時時顔を出す。泊まったりもする。
おばあちゃんはこの一家の台所を預かっている。毎日ご飯を作っている。
決して豊かではない生計をやりくりして支えている。
朝ごはんはコーヒーとパン。たまには卵を焼いてもらったりするけど、それはごく例外。
Astridさんの息子は何処でご飯を食べているのか、一度もダイニングテーブルを一緒に囲んだことがない。たまにはAstridさん、あるいはその娘が一緒にご飯を食べる。
こんな状況の中で昼ごはんや夕食を時時料理を出してるととても嬉しく有難く思う。
男性の大黒柱のない家庭をおばあちゃんは精一杯にやっているのがひしひし感じる。


温かな食卓
今日のランチは五人で食卓を囲んでた。
おばあちゃん、Astridさん、新しいゲストと初老の男。初老の男は一度夕方訪ねてきたことがある。だがおばあちゃんの部屋でお茶を飲んだだけで帰ってしまった。今日は二度目。
料理は今までなく温かく綺麗で美味しかった。


ライスにジャガイモの煮物、トマトサラダ。
トマトサラダはトマトに玉ねぎ、味付けはレモンと塩のみ。シンプル。そうパクチーのような野菜は入っていた。これが味を引き立ている。



デザート付き 豪華
モロコシの粉に甘い味、レーズンも入っている。アレキバで一度食べたことがある。
今日のランチは満足度が高い。



息子さんの笑顔
12才の息子さんが帰宅するなり、ダイニングルームに飛び込んで来た。まずは私の右側に座っている新しいゲストの胸に飛び込み、溢れる笑みを見せ、甘えていた。
次は私の向かい側に座っている初老の男の所に行き、手を合わせ、腕相撲のように初老の男を椅子から引きずろうとする。如何にも双方とも親しみを込めている。
おばあちゃんは二人の男を紹介してくれたけど、名前のみ。少なくとも二人の男はこの家庭にとって友人以上の存在だ。そして初老の男は新しいゲストが来たから再び訪ねてきたろう。


それにしてもみんな和かに食卓を囲むことが実に心が和む。


指の腫れが広がるばかり
腫れは手の甲の三分の一まで広がり、右の人差し指は曲がることもできないほど硬直に腫れている。
Astredさんに見せたら、びっくりして病院に行くように強く勧める。
これほど腫れるのは予想を超えたようだ。
スペイン語の先生は蚊に刺されたと断言し、アレルギー反応とも言う。Astredさんとの見方が一致。
腫れはあるものの、局部には痒みや痛みなどがそれほどなく発熱、怠いなど全身症状がないから、とりあえず様子見。


2015年9月8日 火曜日 晴れ
九時頃家を出る。学校に行き、日記などをつける。宿題もやらなちゃ。
どこにも暖房器具がないけど、何と無く学校の方が幾分暖かい。


学校のロビー。よくここで日記をつけた。


ランチ
今日のランチはおばあちゃんが朝から作り始めたもの。蒸したジャガイモにソースをかける。ソースは玉ねぎと細かく細く裂いた鶏肉を炒め、そしてパンを水に浸し、柔らかくなってからミキサーにかけたペースト状のものを入れる。その後とろ火でゆっくり煮る。朝ごはん後ちょっとだけ手伝った。ただ味付けの部分を見てなかったので不明。赤いペースト状の辛子、缶詰のミルクを入れたのを見ていた。


ソースのしたにジャガイモ、シンプルであっさりした味。



2015年9月9日 水曜日/クスコ
6:15 起床
7:30 朝食
パン、コーヒー、ハムと茹でキャベツ(持参)


指の腫れが消えた。
昨日の朝、腫れは大分落ち着いた。今朝はもうほぼ元に戻った。毎日持ってきた薬を塗って効果が現れたかな。
ほっとした。アンデス山脈の洗礼を受けた気分。恐れ入れた。


Astredさんは現役の女子大生
昨夜、珍しくAstredさんが台所に立って夕食を作っている。
いろいろ話しているうち、来週四年間通った大学を卒業すると言う。
専門が心理学、卒業後病院などでも勤めることができると嬉しそう。通りで彼女はいつもうちにいなかったわけ。
良いなあ、彼女の人生はこれからだ。大黒柱の男はいなくても彼女はきっとこの家を支えることができる。
おばあちゃんと話す時とても優しそうで、見ていて心が温まる。


断水
ランチを食べに家に戻ると、断水になったことを知らされた。近辺あたりが断水で何時までは誰も知らない。だが、みんな何事もなかったようにごはんを食べ、会話を楽しむ。
でもこちらはそうはいかない。歯を磨きたい、トイレにも行きたい、。夜になると顔も洗いたい。取り敢えず近くのスーパーで大き目のミネラルウォーターを二本買った。一本はおばあちゃんに渡し、一本は自分の部屋用。


夕方 帰宅すると、おばあちゃんは夕食を作っている。溜まっていた食器も綺麗に片付けられた。蛇口をひねってみたら水が流れて来た。
良かった。


Astredさんとお喋り
夕食後、Astredさんと暫しお喋りを楽しむ。
昔はペルーでは男は働き、奥さんは専業主婦。だが今はほとんど共働き、でないと生活は苦しい。
日本はどうなの?
日本は同じだと説明する。
教育について、公立学校は安いけど、質が悪い。私立はいろいろあるけど、総じて公立より授業料が高い。


スペイン語の勉強
アレキバで五日間15時間、クスコで七日間14時間、合計29時間スペイン語を勉強した。
両方の学校は文法を中心に講義を進めるから、なかなか思うように喋れない。それでもスペイン語の発音、文法などとても面白く、また一人で長期間旅するにはほとんど人と関わることない中でこういう地元密着型の旅も悪くない


生活環境
アレキバで9日間、クスコでマチュピチュの二日間を除き、9日間滞在することになる。
正直どちらもかなり厳しい。
まず標高が高い。アレキバは2,400メートル、クスコは3,300メートル、高山病予防薬を飲んでいるから、なんとか長期滞在が出来た。
だが、ホテルとホームステイはどちらも料金が安い分、部屋は寒い、お湯が使える。たとえシャワーがあっても部屋自体が寒いからシャワーを浴びることが不可能。洗面所からお湯が出ないから、毎日顔を洗う時、シャワーからコップにお湯を入れ、コップのお湯で顔を濡らす、二三回この繰り返し。


部屋を掃除する
ダイニングルーム、自分の部屋を箒で掃く。結構埃が溜まっている。
ベッドの下は特に。


心が動かされた姿
クスコのアルマス広場で先住民族衣装を纏う女性をよく見かける。観光客と一緒に写真を撮ることが商売だ。
できれば商売のための衣装ではなく日常の姿を撮りたいと思っていた。
広場でぶらぶらしていると、後ろから通り越していく姿が飛び込んでくる。
写真を撮ることを了承していただき、ドキドキ携帯のシャッターを押した。

心を動かされた姿

ペルーの旅 2015年夏 19日目 マチュピチュ村 快適なホテル ➡️オリャンタイタンボ 美しい町 美味しい食 ➡️クスコ

2015年9月6日日曜日/マチュピチュ村➡️オリャンタイタンボ➡️クスコ
6:30 起床
昨夜九時過ぎベッドに入って、途中電車の音が聞こえてもトイレに行きたくても全て無視して寝続けた。
7:30 チエックアウト
フロントにいるおじさんにお礼をいう。おじさんも丁寧に返事する。
一つ星ホテルだけど、私にとって5つ星だった。
しっかりした建物、つまり隙間が無い。清潔な部屋、たっぷり出るシャワー、厚みのあるマッド、暖かい毛布。電話、テレビ、テーブルなど無いけど、旅人にとって熱いシャワー、暖かいベッドと部屋、これで充分。
覚えとこ Los Caminantes
Tel 084-211-007
Av imperil de Los incas nor ,140
Machupicchu-Urubamba-cusco
E-mail Los-caminates@hotmail.com
もう来ることが無いだろうけど、これから行く人には自信を持ってお勧め。


領収書と鍵、あのS/45は忘れられない


朝食
昨日と同じい屋台街に行き、朝食を取った。
スープS/12 凡そ4ドル。昨日ランチでS/7で考えるかなり高い。間違いなくぼられた。
良い気はしない。でもこの程度なら許容範囲。

野菜いっぱいスープ、美味しかった!


朝食後、水分補給のため、近くの屋台でパパイアジュースを頼む。
昨日もここで同じものを頼んだから、顔馴染み、マダムもニコニコ。
S/5、量は半端じゃない。飲みきれず、残りは水筒にも入れる。こういうやりとりが愉しい。


8:53 電車でオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)に向かう
来るときはクスコからだったけど、帰りはクスコまでのは早朝か夕方かしかない。せっかくだからマチュピチュ村とオリャンタイタンボにも少し観てみたいから、クスコの中間点にあるオリャンタイタンボまでの電車にした。
改札口でパスポートとチケットを提示、ホームに立つ瞬間、もうここにはもう来ないだろう、胸が熱くなる。



オリャンタイタンボ
オリャンタイタンボはクスコから75km、歴史の古い町。
インカ時代の宿とも要塞とも言われる遺跡が残っている。また1536年スペインの征服者に抵抗し、スペイン人を撃退したことある武勇伝が残っている。こういうのが好きだなあ。
11時前に時刻通りオリャンタイタンボに到着。
隣り席のメキシコ青年とオリャンタイタンボ町を廻ることになった。
電車ではほとんど口を聞いてなかった。彼は耳にイヤホンと手に分厚い本。私も自分の思いに浸っている。到着直前に何処から来たのと、私が聞くと、会話が弾み、自然に一緒に街に向かって歩き出した。
青年は六日間の旅で最大目的はマチュピチュ。今日はクスコから飛行機でリマに行き、そのまま帰国。強行軍だ。若い人の特権。


それでも二三時間くらいオリャンタイタンボを見学したいという。
青年は小さいトランクにリュック、街歩くには不向き。何処かで荷物を預けたい。そのとこメキシコ青年はある若者と硬い握手を交わす。若者はこちらにも手を差し伸べる。話が纏まり、若者青年の泊まるホテルに荷物を預けることになった。話を聞くと昨日の電車で知り合ったばかりの間柄。
私もリュックを預け、メキシコ青年と街に繰り出す。
街の中心はやはりアルマス広場。小さいが、高い岩山に囲まれながら陽射しが眩しい。広場を放射状に四方八方の路地が広がリなかなかの雰囲気。


石畳の道に石組の壁、タイムスリップした感じ。右側にはインカ時代灌漑用水路が今でも透き通った水が流れている。


その後、メキシコ青年は遺跡を訪ねたいから、握手してお別れ。
オリャンタイタンボの遺跡は有名で、村の背後すぐにある。斜度45度もありそうな斜面に階段のような段々畑が作られ、その脇の階段を300段(150m)を登り詰めると広場に出る。広場の周囲には美しいインカの石組みが続く。
一日かけてならともかく、一二時間では私には無理な話。割愛だ。


オリャンタイタンボでのランチ
一時近く街を散策した後、昼食を取るため、レストランを探す。如何にも観光客相手のようなものばかりで、しかもほとんど閑散としている。あるホテルに入ってみたがレストランがなく、近くの二つのレストランを紹介してくれた。
写真判断でとりあえず中の一つに行ってみたが、従業員はスペイン語しか話せない。メニューは英語付きだけど、その説明ではさっぱりわからない。値段も高い、スープはS/16、4ドルもする。これはクスコでランチセット以上の値段。下手に注文できない。
仕方なく店を出てもう一つの店に行ってみる。
清潔で明るい。
ここでスープを頼んだ。S/12、失敗してもまだ許せる範囲の値段。
これが大当たり、上品な味だ。


人参、ジャガイモ、ほかに名前のわからない米粒のものも入ってる。出汁はエビか、かなり濃くのある味でかといって塩辛くなく、正真正銘ペルーの味。
これはほかに頼んでもきっと旨いだろう。だが時間の余裕がない。未練がましくパパイヤジュースを追加。合計S/19、6ドル、約720円。
オリャンタイタンボは時間があったら一泊くらい泊まりたい町だ。


オリャンタイタンボ➡️クスコ
バスターミナルでクスコ行きのバスを探すことも無く、運転手が声をかけて来た。小さいワゴンで10人席で一人S/10。安い。車に既にアメリカの若いカップルが入っている。満席にならないと出発しないから、2時前から出発の3時15分まで一時間半待っていた。ほかに車無く、運転手も誠実そうだし、待つしかない。
オリャンタイタンボからクスコの道は綺麗な舗装路で、75kmは2時間弱でクスコに無事到着。ホームシテイ近くの広場で停車し、ほとんどの乗客が降りた。


ジャンバを着てホームシテイ先に戻る。ゆっくりと一歩一歩。
二日間、マチュピチュ、オリャンタイタンボ。思う存分に堪能した。